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頭の中のデキモノは3日で取り出したし、糸は2週間もするととれた。
すべての医療行為は、入院1カ月の7月末には終わっていたのだ。
でもそれからがすごく長かった。
ぼくは、歩けず・話せずだった。
自分の力で移動できなくてはどうしようもない。

いわゆるリハビリの毎日がはじまった。
まずぼくは、車いすへの移動をおぼえた。
ベッドからいすにすみやかに移動する。
これができなきゃトイレに行くこともできない。
当然のこと、体には管がついている。
排泄物は管を通して、バルーンと呼ばれるビニール製の袋の中に入るのだ。
ひとりじゃなんにもできない「要介護」。
それがぼくに与えられた名前であった。

ぼくはようやく自律して動くことをおぼえた。
車いすを使えばどこにだって行ける。ほんとにそう思っていた。
じっさいには車いすはすごく疲れるとか、そんなに体力が続くはずないとか、さまざまな限界がある。
そんなことは眼中にないのだ。
病人がいちばん厄介なのは、なんでもできると思ってるこのころだろう。

車いすから、ウォーカー、歩行器と呼ばれる機械の力を借りて移動するようになる。
要は手押し車だけれど、こいつの運転は見た目ほど簡単じゃない。
しかも、悪路ではいっさい使用できないという致命的な弱点も持っている。
はじめはウォーカーの力を借りて、やがては自分の力で。
結局、こいつは退院するまで、ぼくの足になった。
(写真参照)

ウォーカーで自由に行き来できるようになると、いよいよ杖だ。
ぼくは現在、杖で歩く人になっている。
「永井荷風もバロウズも杖だぜ。杖カッコいいよ」
そう言ってくれた人がいて、たいそう救われた。
杖は結局、1年ぐらい続くらしい。



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