山間で生きる親娘。
娘が、とつぜんにーー本当にとつぜんに、父親に問うのである。
「何故、生きているのか」
父親はむろん答えない。
答えないのではなくて、答えられないのだ。
それは青い青いぼくの感想。たしか青空文庫に入ってたはずだ。
太宰治の『魚服記』。
ぼくはそれを読むためにNexus7を買った。
6月24日に救急車で病院に担ぎ込まれ、即座に集中治療室(ICU)入り。
すぐさま数時間の摘出手術となり、終了後は酸素吸入のために管をくわえていた。
要するに、自分の力で呼吸することができなかったのだ。
生まれたときの景色を覚えているよとしたり顔でつぶやく人にときどき出くわすけれど、残念ながらぼくは、小学校入学以前の記憶はほとんどない。
ちょうどそれと同じように、あの数日間の記憶もまったくない。
何を考えていたかも、どうしていたかも。くわえていた管の味も。すべて、何も覚えていない。
気づいたら病院のベッドにいたのだ。
こんなことは人生でそうそうないだろう。
以来幾度となく反芻し、今なお胸に去来する言葉がある。
『魚服記』の、あの娘の言葉だ。
なぜ自分は生き残ったのか?
死んだって良かったじゃないか。それほどの大病じゃないか。
世が世なら死んでいた。医者も死ぬかもと言っていた。
にもかかわらず、ぼくは生き残った。なんで?
考えても考えても答えが出ることはない。
ぼくは足萎え、歩くこともできない。
なのにこんなふうに駄文をものして、答えの出ない問いを繰り返している。
尊敬するあの人は、「じぶんが生き残っているのは、生きて、やらなければならないことがあるからだ。それがなくなったとき、人は亡くなるのだ」と言っていたっけ。
残念なことに、にわかには信じられないでいる。
なぜ自分は生き残ったのか?
そのことに対する有効な回答は見出せない。
わかってるよ、こういうことを考えるのは暇だからだ。
暇じゃなかったら、忙しかったら、こんなことは考えないのだ。
もちろん、こういう疑問は宿痾のようなものだから、忙しくたって脳裏をかすめることがあるだろう。
でも、答えはいつだってペンディングだ。
死にかけたって答えは出なかった。あとは死ぬしか方法はない。
ああ、先送り。
先送りしながら、それでも人生は続いていく。
(病状六尺・了)
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