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こどものためのICT/プログラミングスクール「TENTO」のブログ。情報学習研究所とリンク、国内外のICTやその他の状況をレポートしつつ、TENTOの日々をゆるゆるっとつづります。

TENTOは日本初のこども向けICT/プログラミング学習機関です。

子どもたちにICTを。未来を築くスキルを!

Programming & Presentation for KIDS!

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病状六尺 10

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山間で生きる親娘。
娘が、とつぜんにーー本当にとつぜんに、父親に問うのである。
「何故、生きているのか」
父親はむろん答えない。
答えないのではなくて、答えられないのだ。
それは青い青いぼくの感想。たしか青空文庫に入ってたはずだ。
太宰治の『魚服記』。
ぼくはそれを読むためにNexus7を買った。

6月24日に救急車で病院に担ぎ込まれ、即座に集中治療室(ICU)入り。
すぐさま数時間の摘出手術となり、終了後は酸素吸入のために管をくわえていた。
要するに、自分の力で呼吸することができなかったのだ。
生まれたときの景色を覚えているよとしたり顔でつぶやく人にときどき出くわすけれど、残念ながらぼくは、小学校入学以前の記憶はほとんどない。
ちょうどそれと同じように、あの数日間の記憶もまったくない。
何を考えていたかも、どうしていたかも。くわえていた管の味も。すべて、何も覚えていない。
気づいたら病院のベッドにいたのだ。
こんなことは人生でそうそうないだろう。

以来幾度となく反芻し、今なお胸に去来する言葉がある。
『魚服記』の、あの娘の言葉だ。
なぜ自分は生き残ったのか?
死んだって良かったじゃないか。それほどの大病じゃないか。
世が世なら死んでいた。医者も死ぬかもと言っていた。
にもかかわらず、ぼくは生き残った。なんで?
考えても考えても答えが出ることはない。

ぼくは足萎え、歩くこともできない。
なのにこんなふうに駄文をものして、答えの出ない問いを繰り返している。
尊敬するあの人は、「じぶんが生き残っているのは、生きて、やらなければならないことがあるからだ。それがなくなったとき、人は亡くなるのだ」と言っていたっけ。
残念なことに、にわかには信じられないでいる。
なぜ自分は生き残ったのか? 
そのことに対する有効な回答は見出せない。

わかってるよ、こういうことを考えるのは暇だからだ。
暇じゃなかったら、忙しかったら、こんなことは考えないのだ。
もちろん、こういう疑問は宿痾のようなものだから、忙しくたって脳裏をかすめることがあるだろう。
でも、答えはいつだってペンディングだ。
死にかけたって答えは出なかった。あとは死ぬしか方法はない。
ああ、先送り。
先送りしながら、それでも人生は続いていく。

(病状六尺・了)



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病状六尺 9

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直立二足歩行するかしないか。
それがヒトとサルを分かつそうだ。
胴体の真下に下肢のあるものをヒトと呼ぶのだそうで、ヒトが体躯に比して大きな頭脳を持つことができたのも、直立二足歩行のゆえらしい。要するに、火も道具も直立二足歩行のおかげなのだ。
それゆえほかの哺乳類にはほとんど見られぬ痔や腰痛などを持病として抱え込むようになったという。

ヒトが成長に時間を要するのも、直立二足歩行のせいらしい。
たとえば、ぼくには今年3月に生まれたばかりの甥がいる。
生まれてもうすぐ1年、馬ならとうに親のあとについて走れるころだろう。
でもこいつは今、這って歩いたり捕まって立ったりすることしかできない。
これもまた直立二足歩行する者が備えた限界なのだ。

何を隠そう、ぼくはこの甥とほぼ同じ状態にある。
じぶんの力じゃ歩けない、杖なしじゃどうしようもない。
さすがにどこにも行けずじゃ困るので、退院してこのかた、毎日1時間は歩いている。
まるで老人みたいだなと思うが、致し方ない!

20130531075626245「草野さんは歩くとき右に傾く癖があるんですね。右足に多く力が入っているんですよ。これを腰の力で戻してバランスをとっているんですが、これからはその点を意識しながら歩く必要があります。つまり右足を出すときに、腰でバランスをとるようにする」
スポーツの得意そうなリハビリの先生がにこやかにそう言っていたのを思いだす。
右とか左とか、考えたことねえよ。おれはずっとこれで歩いてきたんだよ。
そう思いながら、素直にはいと返事していた。

歩くとは、バランスをあえて崩し、それを瞬時に戻して移動するという技だという話を思い出した。
人はこれを、たとえば話しながら、考えごとしながら、スマホをいじりながら、当たり前にこなす。
慣れと筋肉は、ここまで人を自由にする。
ぼくはそんなことを考えながら、とにかく歩くことだけを考えて、前にすすむ。



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病状六尺 8

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頭の中のデキモノは3日で取り出したし、糸は2週間もするととれた。
すべての医療行為は、入院1カ月の7月末には終わっていたのだ。
でもそれからがすごく長かった。
ぼくは、歩けず・話せずだった。
自分の力で移動できなくてはどうしようもない。

いわゆるリハビリの毎日がはじまった。
まずぼくは、車いすへの移動をおぼえた。
ベッドからいすにすみやかに移動する。
これができなきゃトイレに行くこともできない。
当然のこと、体には管がついている。
排泄物は管を通して、バルーンと呼ばれるビニール製の袋の中に入るのだ。
ひとりじゃなんにもできない「要介護」。
それがぼくに与えられた名前であった。

ぼくはようやく自律して動くことをおぼえた。
車いすを使えばどこにだって行ける。ほんとにそう思っていた。
じっさいには車いすはすごく疲れるとか、そんなに体力が続くはずないとか、さまざまな限界がある。
そんなことは眼中にないのだ。
病人がいちばん厄介なのは、なんでもできると思ってるこのころだろう。

車いすから、ウォーカー、歩行器と呼ばれる機械の力を借りて移動するようになる。
要は手押し車だけれど、こいつの運転は見た目ほど簡単じゃない。
しかも、悪路ではいっさい使用できないという致命的な弱点も持っている。
はじめはウォーカーの力を借りて、やがては自分の力で。
結局、こいつは退院するまで、ぼくの足になった。
(写真参照)

ウォーカーで自由に行き来できるようになると、いよいよ杖だ。
ぼくは現在、杖で歩く人になっている。
「永井荷風もバロウズも杖だぜ。杖カッコいいよ」
そう言ってくれた人がいて、たいそう救われた。
杖は結局、1年ぐらい続くらしい。



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